死を隠蔽する現代 2  

環八沿いに墓地建設反対の看板があった。どうやら住宅地の中に墓地を造ることに周辺の住民が反対しているようだ。彼らの言い分では、墓地は彼らの居住環境を壊すらしい。ここで問題となっている環境を壊すとは、衛生的な問題ではなく、日常の生活の場に「死…

  僕は世界の構成要素なのだろうか?  

世界は僕が生まれる前から存在し、僕が死んだ後も存在し続ける。世界は僕には関係なく存在し、僕は他人からポールと呼ばれる身体になぜだか理由はわからないが宿っている。僕は永遠の時間・無限の空間の極微小部分を占め、僕と世界は「世界⊃僕」の内包構造と…

  哲学と思想  

哲学=我々が持つ、様々な前提を吟味する行為思想=その前提の上で繰り広げられる関係を解明する行為サッカーで例えるなら、思想家はプレイヤー、もしくは戦術を考える監督哲学者はルールを吟味する人。

  日常と哲学  

先週は忙しかった。一週間、哲学のことは何も考えられなかった*1。頭の切り替えは得意だと思っていたが、さすがにそんな余裕もなかった。なんでもそうだが、物事を深く考えようと思ったら、思考を途切らせてはいけない。一週間も空くとほとんど致命的。特に…

  「私の世界」と「客観世界」の統合  

クワインのホーリズムという考え方は、僕の引っかかりを和らげてくれた。それは、科学に代表される客観的な記述で描かれた世界と、僕の個人的な経験的世界とのどちらが根源的なものかという疑問に対してである。ホーリズムとは、簡単にいえば次のような考え…

  想起・想像において心像は伴うか?  

今僕は、自分の部屋にいる。目を閉じて、先週末のこの部屋の風景を思い出している。久しぶりに会った友人の笑顔がそこには見え、視線を下ろすと畳の上には、コーヒーカップとアイス、沖縄土産のお菓子が乱雑に置かれている。視覚風景だけでなく、「簿記の2級…

  私と世界の境界 メモ  

私と世界の境界はどこなのだろうか?通常私とは、物質的な私(身体)と、心的な私(心*1)の二つの対象を指す。このとき我々は、心とは身体のどこかに宿るか、もしくは身体そのものと考えがちである。特に、想像や想起による心象は、その人の身体、おそらく…

  メモ  

世界は元来一つだけであり、それを多種多様jな生命独自のサングラスを通すゆえ、世界も多種多様に映ると考えるのではなく、世界自体が私の心と連動して、様々に映り行く性質を持っていると考えてはいけないのか?客観的な世界が存在し、そこから送られた信号…

  リートフェルト展  

府中に所用があり、府中市美術館で開催されているリートフェルト展に立ち寄った。良かったのは、シュローダー邸の模型と、レッド&ブルーチェアに座れたこと。残念だったのは、エスキースや落書きが少なかったこと。シュローダー邸は、それ単体で見る時と、…

  私の心、あなたの心 2  

「『他者の心』とは、私にとって、私の世界の一要素である心的存在者である」*1「私の心」「彼の心」「飼い猫の心」「トンボの心」「花の心」「ロボットの心」等々・・。実際にそのものに心が宿っているかどうかに関わらず、比喩的な使い方を含めて、「心」…

  私の心、あなたの心  

「内なる観念」「外なる事物」の図式を破棄するとはどういう意味か。「内なる観念」という考え方がなぜ現れるかと言えば、他者の観念はその人にとって私泌的な在り方をしているからである。彼が想像したパン、想起したりんご、彼の思考、意思。すべて私から…

  心理主義があらわれる起源    

「言語は、それを用いる人の観念を表す記号である」この「言語の心理主義」は、言葉に対するごく一般的な見方であろう。しかし、現在この考え方はほぼ否定されている*1。だがこの言語観は、私たちの通常の感覚に非常に適合している。なぜだろうか?それは、…

  「真の私」とは誰か    

私が自らの意識を内省した時、「本当の私」が現われる。私が、「なぜさっきあんな酷いことを言ったのだろう」と自分に問いかけるとき、「問いかける私」と「問いかけられる私」の二人が存在しているように思える。「真の自己」である「内省している私」が、…

  「本物の世界」を想定してしまう原因  

人間は、具体的で現実的な事物から、一般的で普遍的な事物を抽象化して取り出す能力を持っている。*1たとえば、多種多様に描かれる三角形から、普遍的な三角形(三角形のイデア)が想定される。なぜ普遍的な三角形が想定できるのか。それは、あらゆる三角形…

  脳が心や世界を産み出すのだろうか メモ  

もし「本物−見え」世界が正しいとする。すると、本物、見え世界はまったく異なった在り方をしている。本物世界は、我々の認識を超えた在り方をする。以下証明。例えば、色を考える。色(のクオリア)は脳によって現われ、見え世界に投影される。つまり、本物…

  死を隠蔽する現代  

「死のみが生にその意味を与える」これはウィトゲンシュタインが1916年(27歳)の日記に記した言葉である。当時の彼は、危険な前線におり、目前には死があった。それ以前の彼は、生への意識が低かった。しかし、戦いの激しさが増す中で、危険な監視塔の任務…

  常識への反駁  

「常識という堅牢な城を陥落させるには、外から矢を放っても駄目である。 城の内側に入り込み、内側から崩壊させねばならない」 常識とは、我々にとってもはや生得的ともいえる世界の見方である。それを反駁するのは並大抵のことではない。ある常識に異議を…

  心脳問題メモ  

「外部の刺激が脳に達し、脳内ニューロンをある状態とする。その結果、知覚風景が現れる」モデル化すれば、「物→脳→物の見え(心像)」このモデルにおいては、「物の見え」の最終的な根拠は脳内ニューロンの発火状況のみであり、外部の「物」や「電気信号」…

  物理学の世界観  

物理学が対象としている世界は、物自体の世界か? それとも現象界か?物理学者は物理法則を物自体の法則と考えていない。むしろ、物自体のような世界を想定することを形而上学として嫌悪している。といって、人間の認識を通した現象界というのとも違う。基本…

機械的決定論は、語の異なった用法を混同したゆえ生じる

機械的決定論 :「物質である脳から心が生まれてくるから、心は全面的に物質の法則に規定されている。そして、物質の法則は決定論を導くゆえに、心を含めた世界全体も未来永劫決定している*1 この偽りの理論は、ある語の異なった用法を混同したゆえに起こる…

  決定論への反駁  

話を少し中断して、決定論への反論を考えた。しかし、これでは反駁に不十分である。ただし、「物質」の二つの意味の区別を明確にしておくことは重要であると考える。

「本物−見え」論者からの反論

以上の指摘に対して、唯物論的思考をもつ脳生理学的二元論者は次のように反論するだろう。「なるほど。我々が知覚している世界は、確かに、脳によって産み出された見えの世界である。それは認めよう。しかし、それが即、観念論に結びつくわけではない。この…

唯物論者は観念論者か?

現代科学の花形、脳生理学を保証人に持つこの「本物−見え」の世界観は、よく考えてみれば、オカルト的な奇妙さで成り立っていることがわかる。「本物−見え」の世界観とは、簡略化して言えば、「外部にある本物の世界からの信号を私の身体が受け取り、それを…

僕の問い 「本物−見え」の世界観 

さて、新しい場で始めるにあたって、原点に戻って考えようと思う。それは、次の問いである。 「はたして、脳が心や世界を生み出すのだろうか?」これは、「物質から心が生まれるのか?」と言い換えてもいい。通常我々は世界を、「物質」と、感情や思考といっ…

  【  読書ノート  】  

12/6 『経験主義のふたつのドグマ』(W.クワイン)id:Paul:2003120612/5 『存在と時間』(M.ハイデガー) id:Paul:2003120512/4 『世界の共同主観的存在構造 第二部』(廣松渉) id:Paul:2003120412/3 『世界の共同主観的存在構造 第一部』(廣松渉) id:Pa…

経験主義のふたつのドグマ

【経験主義のふたつのドグマ】経験主義とは、カルナップを代表とする論理実証主義者たちの考えを指す。 分析的真理、すなわち、事実問題とは独立に意味に基づく真理と、綜合的真理、すなわち、事実に基づく真理との間に、ある根本的な分裂があるという信念。…

カルナップ『言語の論理的構文論』

【カルナップのテーゼ】「準−構文的な述語が、形而上学の温床となる」「われわれが哲学に帰属させているものを構文論の中で扱う」【述語の種類】(『クワイン』p36)1. 記号−述語*1 :構文論的な述語*2 :構文論でない記号−述語*32. 記号−述語でない述語 :…

  【  クワイン『経験主義のふたつのドグマ』   】  

『経験主義のふたつのドグマ』(『論理的観点から』所載、飯田隆訳、1950)『現代思想の冒険者達 クワイン』(丹治信治、講談社、1997)(ページ数は、断りがない場合は『論理的観点から』より)

私と世界の関係、主客分離は擬似問題である。 (第二章、第三章)

「現存在はさしあたり自己の内面圏内に封じ込まれていて、それがなにかを志向し把捉するときになってはじめてそこから超え出てゆくというようなわけではない。むしろ現存在は、それの原義的な存在様相からいって、いつもすでに発見されている世界において出…

  【  M・ハイデガー『存在と時間』  】  

『存在と時間(上)』(ハイデガー選集、細谷貞雄他訳、理想社、1927)(以下、ページ数は選集版による)『存在と時間(上)』(細谷貞雄他訳、ちくま学芸文庫、1927)『存在と時間Ⅰ』( 原佑他訳、中公クラッシックス、1927)『存在と時間(上)』(桑木 務訳…