僕は世界の構成要素なのだろうか?  

世界は僕が生まれる前から存在し、僕が死んだ後も存在し続ける。
世界は僕には関係なく存在し、僕は他人からポールと呼ばれる身体になぜだか理由はわからないが宿っている。
僕は永遠の時間・無限の空間の極微小部分を占め、僕と世界は「世界⊃僕」の内包構造という関係を結んでいる。
その「僕」の項には「ポール」だけでなく、「ジョン」や「エドナ」も同等の権利で代入され、「ポール」を含む全ての存在者が代入されれば、それを「世界」と呼ぶ。
僕も、ジョンやエドナや犬猫、草木、岩石と同じく世界を構成する一要素である。
それゆえ、ジョンやエドナが死んでも世界が続くように、僕が死んでも世界は残る。
ポールとジョンやエドナに、存在的に本質的な区別はない。
たとえ僕が、

「僕はジョンやエドナとは全く異なった在りかたをしている!」

と声高に叫ぼうが、

「客観的には同じですよ。あなたからみてジョンやエドナがその他大勢の世界の構成要素に過ぎないように、あなたもジョンやエドナと同じく所詮は”その他大勢”に過ぎないのですよ」

と切り返される。
僕はこの「その他大勢世界観」を他人と同じく信じているし、将来的にもこの世界観が崩れるとは思えない*1


その一方で、この世界観を崩すものがあるとすれば哲学以外にありえないだろうと期待する。*2

*1:僕は主観言語に則って叫ぶ。それに対して世間の人々は客観言語でこれに反論する。現代は、私やジョン、エドナ始め、全ての存在者を同等の地平に扱って世界を語る客観言語が「公用語」となっている。けっして主観言語が誤っているわけではない。将来、主観言語で世界が、日常が語られる時が来るのだろうか?

*2:なぜなら、科学はこの「その他大勢世界観」の上に築かれているからであり、この土台に疑いの目を向ける変わり者は哲学以外にありえないからである。