【  常識批判  】  

   「常識という堅牢な城を陥落させるには、外から矢を放っても駄目である。
    城の内側に入り込み、内側から崩壊させねばならない」


常識とは、我々にとってもはや生得的ともいえる世界の見方である。
それを反駁するのは並大抵のことではない。
ある常識に異議を唱えるために、別の常識を盾にしても無駄である。

そのような世界の見方が生じてくる「時」と「場所」に立ち戻って、それが現われてくる必然性を明らかにし、その成立過程を示さなければならない。その世界の見方が、ある条件の下で現われる特殊な見方であることを示さなければならない。*1つまりは、その見方が生じてくる条件と、そこでの成立過程に対して批判の矢を放つこと。

一つには歴史的に。もう一つは個人的に。
歴史的とは、その見方が生じてきたであろう時代まで遡り、その時代背景の中でいかにして、なにゆえにそれが生じてきたかを描くこと。
個人的とは、人が生まれ成長していく過程で、その見方を後天的に獲得していく様を描くこと。

何か新しいことを打ち立てようと思えば、それが現われる起源に必ず立ち戻って、そこから歩き始めなければならない。(04/3/1)

*1:「その世界の見方は本当に正しいのか?」と問うよりも、「なぜ我々はそのような見方をするのか?」と問う方が、有意義な問いである場合が多い。