2004-03-01から1ヶ月間の記事一覧
世界は僕が生まれる前から存在し、僕が死んだ後も存在し続ける。世界は僕には関係なく存在し、僕は他人からポールと呼ばれる身体になぜだか理由はわからないが宿っている。僕は永遠の時間・無限の空間の極微小部分を占め、僕と世界は「世界⊃僕」の内包構造と…
哲学=我々が持つ、様々な前提を吟味する行為思想=その前提の上で繰り広げられる関係を解明する行為サッカーで例えるなら、思想家はプレイヤー、もしくは戦術を考える監督哲学者はルールを吟味する人。
先週は忙しかった。一週間、哲学のことは何も考えられなかった*1。頭の切り替えは得意だと思っていたが、さすがにそんな余裕もなかった。なんでもそうだが、物事を深く考えようと思ったら、思考を途切らせてはいけない。一週間も空くとほとんど致命的。特に…
クワインのホーリズムという考え方は、僕の引っかかりを和らげてくれた。それは、科学に代表される客観的な記述で描かれた世界と、僕の個人的な経験的世界とのどちらが根源的なものかという疑問に対してである。ホーリズムとは、簡単にいえば次のような考え…
今僕は、自分の部屋にいる。目を閉じて、先週末のこの部屋の風景を思い出している。久しぶりに会った友人の笑顔がそこには見え、視線を下ろすと畳の上には、コーヒーカップとアイス、沖縄土産のお菓子が乱雑に置かれている。視覚風景だけでなく、「簿記の2級…
私と世界の境界はどこなのだろうか?通常私とは、物質的な私(身体)と、心的な私(心*1)の二つの対象を指す。このとき我々は、心とは身体のどこかに宿るか、もしくは身体そのものと考えがちである。特に、想像や想起による心象は、その人の身体、おそらく…
世界は元来一つだけであり、それを多種多様jな生命独自のサングラスを通すゆえ、世界も多種多様に映ると考えるのではなく、世界自体が私の心と連動して、様々に映り行く性質を持っていると考えてはいけないのか?客観的な世界が存在し、そこから送られた信号…
府中に所用があり、府中市美術館で開催されているリートフェルト展に立ち寄った。良かったのは、シュローダー邸の模型と、レッド&ブルーチェアに座れたこと。残念だったのは、エスキースや落書きが少なかったこと。シュローダー邸は、それ単体で見る時と、…
「『他者の心』とは、私にとって、私の世界の一要素である心的存在者である」*1「私の心」「彼の心」「飼い猫の心」「トンボの心」「花の心」「ロボットの心」等々・・。実際にそのものに心が宿っているかどうかに関わらず、比喩的な使い方を含めて、「心」…
「内なる観念」「外なる事物」の図式を破棄するとはどういう意味か。「内なる観念」という考え方がなぜ現れるかと言えば、他者の観念はその人にとって私泌的な在り方をしているからである。彼が想像したパン、想起したりんご、彼の思考、意思。すべて私から…
「言語は、それを用いる人の観念を表す記号である」この「言語の心理主義」は、言葉に対するごく一般的な見方であろう。しかし、現在この考え方はほぼ否定されている*1。だがこの言語観は、私たちの通常の感覚に非常に適合している。なぜだろうか?それは、…
私が自らの意識を内省した時、「本当の私」が現われる。私が、「なぜさっきあんな酷いことを言ったのだろう」と自分に問いかけるとき、「問いかける私」と「問いかけられる私」の二人が存在しているように思える。「真の自己」である「内省している私」が、…
人間は、具体的で現実的な事物から、一般的で普遍的な事物を抽象化して取り出す能力を持っている。*1たとえば、多種多様に描かれる三角形から、普遍的な三角形(三角形のイデア)が想定される。なぜ普遍的な三角形が想定できるのか。それは、あらゆる三角形…
もし「本物−見え」世界が正しいとする。すると、本物、見え世界はまったく異なった在り方をしている。本物世界は、我々の認識を超えた在り方をする。以下証明。例えば、色を考える。色(のクオリア)は脳によって現われ、見え世界に投影される。つまり、本物…
「死のみが生にその意味を与える」これはウィトゲンシュタインが1916年(27歳)の日記に記した言葉である。当時の彼は、危険な前線におり、目前には死があった。それ以前の彼は、生への意識が低かった。しかし、戦いの激しさが増す中で、危険な監視塔の任務…