2002-01-01から1ヶ月間の記事一覧

「本物−見え」論者からの反論

以上の指摘に対して、唯物論的思考をもつ脳生理学的二元論者は次のように反論するだろう。「なるほど。我々が知覚している世界は、確かに、脳によって産み出された見えの世界である。それは認めよう。しかし、それが即、観念論に結びつくわけではない。この…

唯物論者は観念論者か?

現代科学の花形、脳生理学を保証人に持つこの「本物−見え」の世界観は、よく考えてみれば、オカルト的な奇妙さで成り立っていることがわかる。「本物−見え」の世界観とは、簡略化して言えば、「外部にある本物の世界からの信号を私の身体が受け取り、それを…

僕の問い 「本物−見え」の世界観 

さて、新しい場で始めるにあたって、原点に戻って考えようと思う。それは、次の問いである。 「はたして、脳が心や世界を生み出すのだろうか?」これは、「物質から心が生まれるのか?」と言い換えてもいい。通常我々は世界を、「物質」と、感情や思考といっ…

  【  常識批判  】  

「常識という堅牢な城を陥落させるには、外から矢を放っても駄目である。 城の内側に入り込み、内側から崩壊させねばならない」 常識とは、我々にとってもはや生得的ともいえる世界の見方である。それを反駁するのは並大抵のことではない。ある常識に異議を…

  【  意識は観測できるか  】  

「脳から独立した意識の存在は観測されうるか?」 ・・・(a)この問いは、経験的可能性を問う以前に、無意味な命題である。意識という語が指示する対象は通常二つある。 意識1 :生き生きとしたクオリアを含み、かつ経験できるもの 意識2 :振る舞いから意識…

  【  議論の時の注意点  】  

「語の意味は、それが現れる文脈の中で問い、それ単独で解釈してはならない」*1 議論の混乱は、この原則を忘れることにより起こることが多い。ある概念(語)を、それが使われている元の文脈から孤立して取り出し、その文脈上で持つ、もとの意味をずらす。そ…

  【 哲学は関係性を探求する学問ではない 】  

我々は日常において、対象そのものではなく、私を含めた対象間の関係性の中に投げ込まれている。この世で生きるとは、社会の関係性を読み取って、張り巡らされたその関係性の網の目の中に、自分を当てはめることである。うまく入り込むためには、その関係性…