【  議論の時の注意点  】  

   「語の意味は、それが現れる文脈の中で問い、それ単独で解釈してはならない」*1


議論の混乱は、この原則を忘れることにより起こることが多い。
ある概念(語)を、それが使われている元の文脈から孤立して取り出し、
その文脈上で持つ、もとの意味をずらす。そして、その新たに作り出した
意味に対して反論する、もしくはそれを論拠に自説を固める。
このような、いわば自ら亡霊を作りだし、それに向って矢を放つ行為に
気付かないことが、少なからずある。これは、語だけでなく文にもいえる。*2

特に哲学議論は、その背後に複雑かつ膨大な意味の地平を持つ概念
を使用することが多いため、このようなすれ違いが起こりやすい。
それを防ぐために、次の点を注意する。

  1. 簡潔・明晰、誰にでも共有されている言葉を用いる。*3 *4 *5
  2. 独自の語・概念を用いるときは、その定義を明確に宣言しておく。
  3. 他者の概念を使用するときは、その意味を完全に理解した上で用いる。不用意に使用しない。*6
  4. 必ず全体の文脈から、語・文の意味を読み取る。
  5. 自分が使用する語と相手が使用する語の意味のズレを常にチェックする。
  6. 語に固執しない。重要なのは、語の意味である。*7(04/2/26)

*1:文脈原理。フレーゲの文脈原理は、語の意味を単独で問うと、「語の意味とは心象である」とする心理主義に陥る危険性があるので、それを回避するためでもある。

*2:意識的にずらす事で、議論を撹乱、相手を批判、持論を擁護するテクニックもある。だが、ほとんどの場合はこのズレに気付いてない。それは、語の意味が固定されている──それも自分が使用する意味で──と思っている人が多いからだ。議論のときは、自分が用いる語の意味の内包と、相手が用いる意味の内包がずれていないか、常にチェックしながら進めなければならない。

*3:哲学議論とは、政治議論やディベートと異なり、思考過程を問わずに相手を論破することではない。自分の考えの難点を相手に指摘してもらい、自説の強化を目的とするものである。(多くの哲学問題は、科学のように実証による方法論は使えない。ではなにが理論の正しさを決めるかといえば、、その理論の論理的整合性である。理論が正しいことを決めるのは、その結論でなくその過程にある。それゆえ哲学議論においては、自らの思考過程を吟味することが、最も大切な目的となる)。多くの人から意見をもらうためには、使用する言葉は、誰にでも通じる平易な言葉でなくてはならない。

*4:難解な用語を使用することで、自分自身が自分自身の言説に誤魔化される。言語がいかに我々の思考を欺くか考えてみよ。

*5:「平易」と「明晰」は異なる。難解な語を使うことが文の明晰性を損なうわけではない。逆に、日常語を使うことが文の格調、内容のレベルを落とすわけでもない。平易な文を目指すのではなく、明晰な文を目指すべきである。一つの語、概念に多くの意味を負担させるのではなく、文全体で意味が通るようにする事が大事である。

*6:ある概念を、他者の文脈から己の文脈にもって来る時、その概念がもともと持つ意味の内包をずれることが多い。語の意味は文脈によって決まってくるので。しかし、見かけ上同じ語を使っているわけだから、その意味のズレに気付かない。

*7:例えば、「無は存在するか?」という議論をしていたとする。あなたが、「無とは、私の死後の世界である」と定義し、それの有無について語ろうとしている。すると相手が、「それは本当の無ではない。無とは悟りの境地である」と反論したとする。その時あなたは、「いや、それは無ではない」と再反論する必要は(あなたが言語学者でないならば)ない。ただ、「そうですか。それで結構です。では私の定義した無を『むむむ』と名づけましょう。そして、『むむむ』は存在するか、について語りましょう」と言えばいいのである。大切なのは「語(=無)」ではない。「語の意味(=死後の世界)」の方である。