解説

*1【現出・現出物について】

非反省時には我々の意識には「現出物」があり、反省によって初めて「現出」が捉えられます。
この違いをサイコロで説明します。

普段の非反省時、我々がサイコロを見ているとは、目の前の物体がサイコロであること意識して、つまり、それをサイコロとして見ています。このサイコロという意味を伴った事物全体が「現出物」です。しかし、そのときの意識をよく反省してみると、その瞬間瞬間にはサイコロの一面しか見えていないはずです。意識の一瞬一瞬にそこに現れるサイコロの一面としての現象が、「現出」です。


*2【志向性について】

この「現出」と「現出物」をつなぐ意識の本質性格が「志向性」(〜についての意識)です。我々が事実経験しているのは現出で、現出物であるサイコロそれ自体ではありません。サイコロそれ自体を全面から一度に認識することはできないからです。にもかかわらず、次々に流れゆく現出の経験(サイコロの一面)から現出物(サイコロそのもの)を理解しています。これは、今見えている一面と今は見えない裏面という二通りの現出を総合し、サイコロという一つの存在者に向かって意味付けできる性質を意識がもっているからです。その性質を「志向性」といいます。(今は見えていない裏面も現出の一種です)。つまり、意識にはそのつどの多様な現出を、ある現出物へと総合的に統一する働きがあり、その働きが志向性なのです。

   「反省は、多様ではあるが総合的に統一された志向性へと導く」 (p83)

このような意識の働きに気づくのは、自らの意識を「反省」したときだけです。
反省によって、「現出ー現出者」「志向性」という意識の構造、さらには事物の存在意味(事物が持つ意識によって付与される意味)、存在妥当(事物が実在しているという確信)の構造を明らかにすることができるのです。

これは言い換えれば、非反省時は「意識対象」を、反省時は「意識作用」を意識が捉えていることを表しています。

非反省時、意識内に存在するのは意識が向かっている対象(現出物)です。反省によって、意識の作用である志向性が捉えられます。意識を自らの意識に向けることにより初めて、志向の対象の代わりに志向そのものが把握できるわけです。

*3【 】

後述