【2】 『自己経験及び共同経験に関する純粋に心理的なことがら、志向的体験の全体的記述』

純粋心理学としての心を解明する上で手がかりとなるのは、我々自身の純粋な経験の固有性である。この経験の分析を通じて、意識の構造、性質に迫る。(ノエマの分析を手がかりにノエシスに迫る)

我々自身の経験に目を向けるとは「反省」、つまりそれまで他に向けられていた意識を、意識それ自体へと向ける行為である。
人は非反省時、そのつど意識している対象──コップといった実在的対象や、思考、概念といった観念的対象など──へと向かっている。それが、自らの意識を反省することにより、心理的体験そのものが捉えられる。*1

この心理的体験はすべて「現象」と呼ばれ、その本質性格は「〜についての意識」(「志向性」)である。*2 志向性を本質性格とするこの現象が現れる領域を解明する学問が、現象学的心理学である。

「あるものに関する意識は、このあるものを空虚に所有することではなく、むしろそれぞれの現象はそれ自身の志向的な全体形式をもつのである」(p83)

「意識はすべて何ものかについての意識である」

この志向性の構造は、知覚の場合に限らず様々な類型──想起、想像、判断、価値づけ等々──にも当てはまる。

何かを思い出すときもその「何かに向けて」意識は働き、何かを価値づける時もその「何かに向けて」意識は向かっている。それぞれの在り方(実在、空想物、価値等)で存在するためには、それぞれに対応した志向的な構造(知覚、想像、価値としての意味付与)が働かねばならない。*3

さらに、普遍的な心の解明のためには、自己経験だけでなく他者の経験にもよらねばならない。それゆえ後には共同存在としての心(「間主観性」)が主題となる。