【 分析哲学とは何か 】  

分析哲学と呼ばれる現代の哲学の特徴は、単に、論理学に由来する
分析的道具の使用にあるのではない。分析的道具の使用は、この哲学が
哲学的問題に対して取るアプローチの仕方からの帰結のひとつに過ぎない。

哲学的問題が概念的問題であるということは、われわれの思考そのものが、
まさに、哲学の対象であることを意味する。哲学とは、「思考についての思考」
なのである。現代の哲学を、デカルト以来の近代の哲学から大きく分かつのは、
思考そのものをどのように捉えるかにある。

・・・多くの人にとって、思考とは、自分の心の中で生ずることである。
そして、そうした人々は、自分が何を考えているかは、「内省」という、本人だけに
可能な手段によって明らかになるはずだということに疑いを抱いていない。
思考についての現代的観点は、こうしたこと全てを否定する。

思考とは、心の中で生じることではない。*1
自分が何を考えているかについて、その本人が特権的な知識を持っているわけでもない。
思考についての現代的観点こそ、分析哲学の基調を形作るものである。
それによるならば、思考は、言語を使用する能力を行使すること以外の何ものでもない。
したがって、何が考えられているかは、心の中に見出されることではなく、その考えられたことの言語的表現がどのように用いられているかを見ることによって明らかとなることである。*2

こうした分析哲学の基調に従うならば、概念の解明は、その言語的表現の解明を通じてのみ、可能となる。そうすると、言語的表現一般についての理論は、概念の解明にとって不可欠な理論となる。そして、哲学的問題が本質的に概念的問題である以上、こうした理論は、哲学的営み全体の中で、もっとも基礎的な理論とみなされるべきであろう。

言語哲学」という名称で、言語的表現一般についての理論の構成を目指す哲学の部門を指すとすれば、言語哲学は、分析哲学にとって「第一哲学」であると言ってよい。(04/2/26)

                          (飯田隆言語哲学大全Ⅰ』)


 

*1:心理主義批判:後述

*2:はたしてそうだろうか? むしろ、「概念は心象であるが、それを直接掴み取るとはできないから、その次善の策として、心象の像である言語を分析しなければならない」が妥当ではないだろうか。