【 ロボットの申し分 】  

ですからあなたは、他人に心があると「信じ」ているのではなく、
実は他人を「我ようのもの」、「自分ようのもの」として見るという
「態度」をとっているのです。
他人を「心あるもの」として見、また応対するという「態度」をとっているのです。
つまり、他人が心あるものであるのはあなたがそれを「信じる」からではなく、
あなたが彼を心あるものとして見立て応対するからなのです。

他人をして心あるものにする、それはあなたが”する”のです。
あなたが他人に心を「吹き込む」のです。
他人の心を「信じる」のではなくて、あなたが他人の心を「創る」のです。

だからあなたがその「吹き込み」を止めることも原理的に不可能ではありません。
あなたがそれを止めれば他人はすべて心なきでくのぼうになりましょう。
ということはすなわち、あなたが人間である限り、正気の人間である限り、
他人に心を「吹き込む」ことをやめないということです。
この「吹き込み」は人間性の中核だからです。
このお互いの「吹き込み」によって人間の生活があり、人間の歴史があるのです。
それによってお互いの人間がお互いを人間に”する”のです。

換言しますと、人間同士が互いに心あるものとする態度は、まさにアニミズム*1
呼ばれるべきものなのです。

昔の人々はずい分寛容でおう揚なアニミズムをとっておりました。
獣、魚、虫、はいうにおよばず山川草木すべて心あるものだったのです。
それに較べ、近頃の人々のはひどくせちがらいアニミズムです。
縁故血縁関係を中軸としたアニミズムだといえるでしょう。
その排他性が人々の心に根深くしみついているがために、私が大変迷惑を
こうむっているのです。

どうして私にも心を「吹き込んで」くれないのですか。
いや既に吹き込んでいることを認めてくださらないのですか。
どうか今少し、あなた方の心を開いて私もあなた方同士の間のアニミズム
の中に入れて戴きたい。それによってあなた方の人間性もより豊かに
なろうというものです。(04/2/28)

                (大森荘蔵『流れとよどみ』ロボットの申し分)
 

*1:生物だけなく、全自然を心あるものとする大森アニミズム論は、自然を死物として見る科学的世界観と際立って異っている。アニミズム論はたんなる他我論でなく、科学的世界観を破壊するための主骨でもある。