3. なぜ体系がドイツ観念論の主題となりえたか(『講義』p84_1)

新たに理性が真理の法廷となった。理性の本質の原理的省察を初めて
行ったのはカントである。理性は我々の直観と思考を、「存在者の全体の
包括的統一と統一をもった分節へ向かうように」指示を与える。
理性は統一への志向性を持ち、様々な存在者を、ある一つの根本的連関の統一
として眺めやることを可能にする。理性それ自体が体系的なものである。

しかし、カントのこの理性解釈には大きな欠点がある。
カントの理性は最高の理念−神、世界、人間−を認識できないと一定の制限を
持たせた。人間とは、神と世界を統合する繋辞である。その人間(理性)が、神、世界
を認識できないとなれば、理性を根拠とする体系の基盤は揺るがざるを得ない。
これがカントの体系の挫折であり、この克服がドイツ観念論者にとっての出発点となる。