解説

*1【超越論的主観性と心的主観性】

この辺りくどいですが、もう一度「心的主観」「超越論的主観」の違いを確認しておきましょう。( 前書き*2、6節*2参照)

日常の我々にとって世界が実在することは自明です。私の心とは、物質と対置された心的実体として世界の内に存在しています。この世界の一部としての心が「心的主観」です。世界は物質と心の二つの実体で構成されています。科学もこの世界観の上に成り立っています。それゆえ、科学が対象とする心は、一方の実体である物質世界との精神物理的連関のうちにある「心的主観」です。

しかし厳密な学を標榜する現象学にとって、世界確信の自明性は受け入れることはできません。その自明性とは所詮我々の主観のうちで生じているものだからです。客観世界はもちろん、心(心的主観)すらも我々自身の意識においてその意味と存在妥当(自明性)を獲得されたものです。ゆえに現象学が対象とする心は、「そこからすべての存在者が意味づけられる主観(超越論的主観)」なのです。