【3】 『純粋心理学的なものの孤立した領野 ─ 現象学的還元および真の内的経験』

現象学的心理学は、あらゆる外的な影響から切り離された純粋な心理経験と、それが生じる領野(主観)を研究対象とする。

しかし、従来の心理学(経験心理学)では、経験を純粋に捉えることはできない。なぜなら経験心理学における心的経験とは、外部世界(身体、他者等)との連関、因果を考察するため、否応なく外的経験が混入するからである。*1

そこで、そのような不純物(外的経験)が混じらない純粋な経験を取り出すために、客観的にそれ自体として存在している(と確信している)外的世界の存在を一旦括弧に入れる判断停止(エポケー)が必要となる。*2

そこでは、目の前に存在するコップの経験は、志向性に基づいた「このコップに関する」意識に変換される。つまり、非反省時に存在する対象としてのコップは、「現出ー現出者」「志向性」といった意識の作用から構成される意味形成体としてのコップへと変換される。

このように、外部世界に対するエポケーは、我々の主観から超越して存在する外部世界を意識の内部から消去するが、それによって、純粋意識が内容空虚な領野となるわけではない。

なぜなら、意識の本質が「在るものについての意識」という志向性である限り、還元後に現れてくる純粋意識には「志向的相関者」が現れてくるからである。

その志向的相関者とは、「意味としての存在者(世界)」である。純粋意識とはすなわち、「世界を意味として構成する意味付与の領野」(超越論的主観性)である。

エポケーの後に現れる世界は、世界のうちに存在する私の意識、世界内部的な意識でなく、世界さえも志向的相関者としてもつ超越論的意識(純粋意識)にほかならない。この純粋意識の志向的構成作業を反省し、そこからいかにして世界という意味が構成されていくかを見極めようとするのが現象学的還元の目的である。