経験主義のふたつのドグマ
【経験主義のふたつのドグマ】
経験主義とは、カルナップを代表とする論理実証主義者たちの考えを指す。
- 分析的真理、すなわち、事実問題とは独立に意味に基づく真理と、綜合的真理、すなわち、事実に基づく真理との間に、ある根本的な分裂があるという信念。
- 還元主義、すなわち、有意味な言明はどれも、直接的経験を指示する名辞からの論理的構成物と同値であるという信念。
【ドグマを捨て去ることによる結果】
【分析的心理と総合的真理の境界の曖昧さ】
「分析性」に明確な説明を与えることにことごとく失敗する。これは、分析命題と綜合命題との間に明確な区別があると考えることが間違いであることを示す。
【還元主義批判】
- 還元主義
- 命題一つ一つが個別に一定範囲の経験に対応するという「検証理論」の主張。
クワインの批判は、「個々の言明が、他の言明から孤立して考えられても、確証や反証を受け付けうる」という還元主義の考え方に向けられる。
「外的世界についてのわれわれの言明は、個々独立にではなく、一つの集まりとして、感覚的経験の裁きに直面する」(p61)
【ドグマなき経験主義】(p63)
「(科学的命題から日常的な言説まで)われわれのいわゆる知識や信念の総体は、周縁に沿ってのみ経験と接する人工の構築物である。あるいは、別の比喩を用いれば、科学全体は、その境界条件が経験である力の場のようなものである。周縁部での経験との衝突は、場の内部での再調整を引き起こす」(p63)
周辺部にぶつかってくる経験的言明から、中心部に向かうにつれ、抽象的、非経験的で高度な理論的言明(物理、論理学、存在論)が作られる。中心部に向うにしたがって、いわゆる普遍的な命題となり、この構築物の根幹をなすため変更が難しくなる。この構築物に反する経験的言明が周辺部にぶつかってきても、その周辺部をわずかに変更してそれを取り入れたり、その言明を幻覚だとかいってこの構築物が崩壊しないように守ろうとする。われわれの「保守性」ゆえに、中心部はそのままにして、周辺部だけ変更することにより、体系を壊さないようそれを受け入れる。
ある体系において偽であった言明が、別の体系においては真であることもありうる。その言明の真偽に客観的な基準はなく、それが属する信念体系によって左右される。
「いかなる言明についても、もしわれわれが、体系のほかの部分に抜本的な変更を加えるならば、何が起ころうとも、当の言明を真とみなし続けることができる」(p64)
「すべての経験(実際に得られた経験だけでなく、もし観察したとしたら得られたであろう経験まで含めて)を考慮に入れても、われわれの信念体系という「人工構築物」の内部構造はただ一つに決まるとは限らない*1」(『クワイン』p106)
構築物を大改造する時が、知的革命(たとえば科学革命)である。
基本的には従来の理論を守るという保守的なわれわれが、袋小路に入り込んだり、あるいは従来の理論よりスマートな根本理論を発見した時、科学者は大改造に踏み切る*2。
このような大改造が可能なのは、われわれの言語と知識の構造が、各々の命題に一定範囲の経験が必ずしも対応しているのではなく、信念体系の縁に与えられる経験によっては構築物である理論内部の構造はただ一つに決まらないからである*3。
このように、何か何の確証や反証になるかは、その特定の経験と特定の仮説を取り巻く「理論的環境」とでも呼ぶべきもの、すなわち、人々が他のどのような信念を持っているかということと、相対的にしか決まらない*4。
これは、科学理論だけでなく日常においても同様である*5。
【信念体系は神話である】
この考え(ホーリズム)によれば、認識論的身分において、物理理論と神話とは程度の差であり、どちらも文化的措定物である。
「物理的対象の神話が多くのほかの神話よりも認識論的に優れているのは、経験の流れの中に扱いやすい構造を見出す手立てとして、それが他の神話よりも効率がよいことがわかっているためである」*6
「体系の縁は経験と合致している必要があるが、残りの部分は、精巧な神話や虚構をも含めて、法則の単純性をその目標とする」(p67)
命題の真偽は、それに属する信念体系によって検証される。そしてその信念体系は、その体系の周辺での経験的一致、内部での論理的整合性によってのみ保たれる。
(04/3/20)