解説1

*1【現象学的心理学と超越論的心理学の平行論】

「あらゆる超越的な現象学的教説を、自然的な実証性の教説へと変換する可能性を明らかに示す」(p112)
「この経験的な現象学は、実証的な諸学問の完全な体系的全体と同一である」(p116)

ただし、超越論的経験を心理学的経験へと変換させることは可能だがその逆はできない、とフッサールは考えているようです。(ある次元が、それより根源的な次元を基礎づけることはできない)
これは、心理学的経験によって取り出されるものと研究対象の重なる実証科学を超越論的哲学(現象学)が基礎付けることは可能だが、その逆、つまり実証科学の成果を超越論的哲学の基礎とすることはできないことを示しています。

 「もしそれが自然的見方において心理学として、すなわち眼前の世界に関係づけられる実証的な学問として受け取られるならば、それは全く非哲学的な学問であることになり、他面において、<同じ>理論的内実が超越論的味方において超越論的現象学として理解されるならば、それは哲学的な学問である」(『イデーン後記』p144)

この節を読む限り、現象学(超越論的態度)において外部世界のエポケーは必然だが、現象学徒自身が外部世界の存在を否定する立場に立つわけではなさそうです。(現象学徒といえ自然的・自然主義的態度で世界と接することを否定しない)


*2【現象学的還元と超越論的還元】

現象学的還元は心的経験を純化するため心的主観性へと立ち戻る還元、超越論的還元は超越論的経験を純化するために超越論的主観性へと至る還元です。(ただし、現象学的還元=超越論的還元とする場合もあるようです。その場合、心的主観性への還元は心理学的還元と呼ぶようです)

現象学的還元において取り出される純粋経験は外部世界との相関関係を持ちますが、超越論的還元における純粋経験は、超越論的主観性によって構成される外部世界と関連のない志向的対象です。


*3【超越論的な間主観性は、そこからあらゆる超越が存在意味を得る基盤である〜他我の構成】( 3節*4参照)

現象学は、あらゆる存在者の意味を超越論的主観という領域で獲得します。
我々が通常自明のこととしている「心的主観」「他者(他我)」「客観世界」も同様です。「現象学独我論である」という批判は、現象学では他者や、我々が属する唯一の世界を説明できないということであり、それは間主観性の概念に関わっています。少し詳しく説明します。