5 最大の謎「クオリア」 

●5-1
クオリアの内観的定義」p147
クオリアは、私達の感覚の持つ、シンボルでは表すことのできない、ある原始的な質感である。クオリアなしでは、私達の脳の情報処理能力は成立しない。信号としての痛み。

●5-2
クオリアの情報処理の側面からの定義」p148
クオリアは、脳の中で行われる情報処理の本質的な特性を表す概念である。

●5-3
クオリアについての誤解p149
1. クオリアを言語で説明できるとする
2. クオリアは、文化的意味付けと結び付ける。(構造主義
3. (「苦痛」「快感」といった)クオリアを生存上の意義と結びつける。

●5-4
統合された並列性」p158
人間の脳とコンピュータの脳の違い。
脳は情報を並列に処理し、それを統合する能力がある。このプロセスにはクオリアが大きな役割を果たす。
「内観的な視点から見たクオリアは、客観的な視点から見た場合「統合された並列性」を実現している脳の中の情報処理のメカニズムの特性を反映していると考えられる」
ex)映画 :音のクオリアと視覚のクオリアは全く異なるが、それらは統合されて一つのクオリア風景となる。異なるからこそ、クオリアは「並列に」共存でき、意識と言う枠組みに「統合」されるのだ。
cf) 「共感覚」 :目をつぶって音を聞いていると、音とともに赤や青の色が見える。

●5-5
クオリアの並列性」p160
:「私達の心の中で複数の認識の要素が共存できるのは、それらが異なるクオリアを持っているからである」

●5-6
「脳は、体性感覚と視覚というかけ離れた感覚のモダリティ(クオリア)でさえ、統合して理解しようとする。そして、このような驚くべき「並列された統合性」と、感覚の持つクオリアは密接に関係している」p161
cf)ルームランナーと視覚

●5-7●
現在性のクオリア」p162
:知覚のクオリア。想起、想像と違いはっきりと鮮明なクオリア
「多種多様なクオリアのモダリティ(視覚、聴覚、味覚、触覚、臭覚、等)の属性はすべて、物理現象としては驚くほど均一な、Nの発火の属性から説明されねばならない」

・「知覚されたもの」と「想起(想像)されたもの」p162
この認識の要素は全く異なっている。しかし、N原理の下では、内観としてのこれらの違いを前提と
するのではなく、あくまでも「Nの発火の性質から」、説明されねばならない。
「私達の心の中の認識要素が、「現在性のクオリア」を始めとする様々なクオリアによって組織化、地図化されている」
「私達の脳の中には、もともと現象としては均一な、Nの発火があるだけである。そして、それらの相互関係から、このような心の地図(知覚のクオリア、想起、想像のクオリアの分布)が生じてくる。

知覚されたもの、想起されたもの。同じクオリアでありながら、なぜ、後者は存在しないと言えるのか?クオリアが鮮明でないという理由は本質的には関係ない。同じクオリアだから。利便上分類しただけ。

●5-8
クオリアは、内観的に見れば、私達の心の中で統合された視覚像ができる上で、本質的な役割を果たしていると同時に客観的に見れば、脳の情報処理において本質的な役割を果たしている」p166

●5-9
クオリア研究の方針p167
クオリアが、脳内の情報処理のメカニズムに核心的な役割を果たしている以上、脳の中の情報処理過程を研究することによって、そこにクオリアの謎を解くカギを見つけなければならない」「具体的には、クオリアの属性と脳内N発火状況との対応関係を解明する。

「ある認識要素の持つクオリアは、その認識要素を構成する相互作用連結なNの発火のパターンによってそしてそれによってのみ決定される」p169
クオリア」 :認識の要素を構成する相互作用連結なNの発火パターンp169
「モダリティの間の差は、それぞれの感覚における物理的刺激の性質の差でも、末端の受容器の性質の差でもない。モダニティの間の差は、あくまでも、相互作用連結なNの発火パターンの分類学の中にその起源を見出さなければならない」p170

●5-10
クオリアの先験的決定の原理」p171
認識の要素に対応する相互作用連結なNの発火パターンと、クオリアの間の対応関係は、先験的(アプリオリ)に決定している。同じパターンの持つ相互作用連結なNの発火には、同じクオリアが対応する。クオリア自体は、経験や学習に依存せずに、それ以前に決まっている。

●5-11
クオリアは新たな自然法則の領域に存在する」p171
5-10はクオリアの起源がどのようなものであれ、それは自然法則の一部とされねばならない。そして、その法則は、全く未知の自然法則となり得るだろう。

  物理的刺激 → 脳内N発火パターン → クオリア
        物理法則       新しい自然法

非常に興味ある。脳と心に対応関係があることは間違いない。脳が自然法則に従うなら、それと密接に関連のある心も「脳→心」の間で、何らかの自然法則が存在するはずだ。それが、従来の物理法則になる必要はない。

●5-12
「新たな問題」p173
最終的に残る問題は、クオリアがどのようにして「私」の心の中に表象として現われるのか?である。

クオリアが存在する=それが即ち「私(の心)」である。クオリアを入れる枠組みとしての心など想定する必要はない。「私」と身体、外部世界との境界線は曖昧である。「見る私−見られる物」の構図を破棄。